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「西郷どん!」がクソ面白くない

どうも。
2018年も順調に年を重ねているtacconiです。


忙しいといえば忙しいし、ヒマっちゃヒマだし。
何よりも、FC2ブログがまだ続いていることが驚きですよね。


今年の大河ドラマは「西郷どん!」ということで。
昨年の決定当初から、鹿児島県民としては非常に気になる話題でした。


でもコレ、クッソ面白くねえな。


ホント面白くねえ。
ぜんぜん面白くない滑りっぱなしのギャグを、ずっと見させられている気分になるわ。


「ああ、あなたはこういうのが面白いと思っているんですね」
という感じ。


それでも、鹿児島県民としては。
おそらく、今年一年続くホットワードになってしまっているから。
話題についていくために、見ないとしょうがないのかもしれないですね。


しょうがないかな。
たぶん。


何が面白くないかというと。
実は俺は、原作の本もちゃんと読んでみた。
原作は、まあまあ面白かった。


西郷さんを題材にした本は、巷にたくさんあるけれど、その中でもちょっと変わった視点から見た西郷さんだな、という感じ。
文章などは平易で、非常に読みやすい。
逆に言えば、ちょっと薄っぺらいところもあるけど。
我慢できないほどではない。
これをそのまま大河ドラマにしたら、さまざまな意見はあるだろうけど、まあ面白いんじゃないかな、という感じでした。


でも、脚本は原作のままではなかったね。
今のところ。
俺の印象では、原作再現率40パーセントくらいって感じかな。


まあいいんだよ。
原作も大して面白いわけではないからさ。
脚本で大いに変更して、面白いドラマに仕上がれば、それでいいんだよ。


でも、変更した脚本の方が、ぜんぜん面白くねえな。


正直言って、見るのが苦痛だよ。
クソだな。


時代考証とか、歴史的事実とかいうこともそうだけど。
単純にドラマとして面白くねえよ。
なんのワクワク感もねえよ。


こんなクソなドラマに乗っからなきゃいけない、鹿児島県民の気持ちを考えてみてくれよ。
まず、「せごどん」って呼んでいる人はあんまりいないって、説明しといてくれよ。


あーあ。


ちょっと前に、「花燃ゆ」でがっかりしたであろう、山口県の皆さんの気持ちが分かりました。
これが一年だからな。
きついっすね。



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気ままに映画批評 第34回 「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」

どうも。
真昼間から映画を見に行ってきたtacconiです。
うん。
夏休みだからね。
平日だけれども。
夏休み気分だからね。


というわけで、今回、紹介する映画は
「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」
です。
タイトル合ってるかな?
たぶん、合ってるね。
はい。


やっぱりね。
見に行かなきゃだめですよ。
一応、見に行って。
見に行ったうえで、否定しないと。


見てもいないのに、否定することはできません。
まあ、存在自体を否定したいことは間違いないんだけれども。
俺はこの作品を全力で否定したかったので、見に行きました。


しかし、アレだね。
俺が映画館に見に行こうと思った時点で、公開開始からまだ一か月も経っていなかったわけだけども。
すでに終わりかけてるね。
ええ。
一日、一回か二回の上映という映画館ばかりでした。


この時点で、面白いとかそういうこと以前に、この映画はビジネスとして失敗していることは明らかなんだけれども。
一応、内容にも触れておきましょうか。


神木隆之介の肌が汚い。
それがこの映画で一番、印象に残ってる。
この人はアレです、広瀬康一役の人です。
ぜんぜん高校生に見えないけどね。


高校生役のオファーが来たというのは、この人の責任ではないからしょうがないとしても。
スクリーンに映る顔の肌だけは、もうちょっといい状態に管理ができないものなんだろうか。
役者なんだから。
メイクだって、いろいろやり方があると思うんだけど。
それとも、がっつりメイクをしてあの状態なのか?


顔といえば、あんなに老けた承太郎はいないよな。
伊勢谷友介だっけ?
40歳くらい?
言っちゃ悪いけど、シワクチャじゃないっすか。


やっぱり、痩せすぎなんだろうね。
承太郎の服を着てても、全然迫力がないわ。
ヒョロイ。


原作者の荒木飛呂彦によれば、空条承太郎はクリント・イーストウッドのような、「立っているだけで絵になる男」をイメージして描いていたとのことで。
伊勢谷友介にその演技ができていたかというと、うーん。
という感じです。


いやまあホント、ビジュアル面に突っ込んでいったら、一分たりともこの映画を鑑賞することはできないので。
それはもうしょうがないとして、内容の方に移りましょう。


まあ、ダメだね。
原作にまったく触れたことがない人が楽しめるかどうか微妙なところだし、なおかつ原作のファンも楽しめないという。
原作付き映画の、典型的なダメな例だと思う。


俺はハリー・ポッターの原作を読んだことはないし、バットマンのコミックを買ったことはない。
アベンジャーズについても、なんとなく知っているくらいで、キャプテン・アメリカやアイアンマンの映画を見て、理解したつもりだった。
でも、映画はすげえ面白かったぜ。


そりゃあ、それらはもちろん、ハリウッドの大作映画で、比べ物にならないくらいの予算を使っているってのもあるけれど。
原作を知らない人でも、楽しめる。
原作を知っている人はもっと楽しめる。

っていうのが、理想的なカタチだよな。


やっぱり、ハリウッドの彼らは理解しているよね。
原作を徹底的に分析している。
分析して、十分に理解したうえで、残したり壊したりしている。
だから、面白いんだと思う。


X-MENのウルヴァリンを例に挙げると。
ウルヴァリンの外見で、最も特徴的な、「小柄で筋肉質なおじさん」という設定は、どうだったか。
映画の中でウルヴァリンを演じていたのは、ヒュー・ジャックマンという俳優で、彼の身長は188㎝もある。


ぜんぜん小柄じゃない。
でも、他の点ではウルヴァリンにぴったりだった。
彼の出す雰囲気は、文句なしにウルヴァリンのそれだった。
そういうことなんだよな。


映画の中では、ウルヴァリンだけでなく、誰一人特徴的なX-MENのコスチュームなど着ていないし。
ストーリーの都合上、変えてもよさそうなところはドンドン変えている。
でも、最低限の辻褄が合うように、調整もしている。
そういうことなんだよ。


何も、マンガをそっくりそのまま再現しろって言ってるわけじゃない。
そんなの、ただの痛い自主製作映画みたいなもんだ。
原作を十分に理解したうえで、何が重要なエッセンスなのか、何を残して、何を捨て去ってしまっていいのか。
それが分かっていないから、面白いと感じないんだよ。


一生懸命作らずに、ただ体裁を整えようとしているだけだから、面白くないんだよ。


ぶっ壊しちまっていいんだよ。
仗助たちが学ランなんか着る必要ないんだから。
髪型だって、マンガのままじゃなくていいじゃない。
マンガのままのセリフを再現しなくたってさ。
原作のいい部分を、いい雰囲気を残しさえすれば、ぶっ壊しちゃっていいじゃない。


それを、何にも理解せずに、ただ原作マンガの真似事をしているだけだから、おかしくなる。
面白くなくなる。
世界観を感じなくなる。
これじゃあ、映画じゃなくたっていいよ。
アニメやゲームで十分だよってなる。


色々な事情もあるんだろうけど、原作マンガを超えてやる、という明確な信念を持たないとダメだ。
ただの実写化じゃあ、成功なんてするはずがない。


文句がありすぎて、うまくまとめる自信がなく、すごく抽象的な批評になってしまったけれども。
つまりはそういうことですよ。


「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」
「25点」


出直してこい!!





気ままに映画批評 第33回 「カーズ クロスロード」

どうも。
子供と映画を見に行ってきたtacconiです。
夏休みだからね。
朝イチで。


というわけで、今回の映画批評は、「カーズ クロスロード」になります。
まだ公開中の映画ですし、ネタバレもありますので、ご容赦ください。


なぜ、「カーズ3」ではないのか。
まずはそこだけど、大丈夫。
子供たちはそんなこと、あまり気にしません。


誰がどう考えても、「カーズシリーズ」の第三作目だし、友達と話すときには「カーズ3見た?」って言っちゃうだろうし。
もし、日本の映画関係者の方が、「3というタイトルだと、まさに続編って感じだし、1と2を見ていないと話が分からないかと思って、客足が伸びないのでは?」
とか考えているのだとしたら、まったくの杞憂であると思います。


ていうか、実際に2はともかく1を見ていないと、ほとんど話が分からないのだから、それはしっかりと告知するべきところだと思います。
「客足が伸びない」ということを何よりも恐れる映画会社らしい発想ですが。
もし本当にそうだとしたら、いよいよ日本の映画業界には、ろくな人材がいないんだな、と思います。
ホントに斜陽産業ですね。
まあ、それは俺の想像です。
ていうか、想像だといいです。


で、肝心の「カーズ クロスロード」の内容なんですが。


ん?
これは?
誰に見せたい映画なんだ?
って感じです。


「おいおい、カーズはいつから、「ロッキー」になったんだ」って感じです。


なんかねえ。
まず、主人公であるマックイーンが年を取って、もうレーサーとしては下り坂であると。
勢いのある新人には、もう勝てないと。
そういうところから物語が始まるんだけども。
彼らにとっての年齢ってのは、何なのよって感じなんだよね。


けっこう目を凝らして見てみても、マックイーンが年を取ったということは、見た目ではまったく分かりません。
1、2のときと、まったく変わらないように見えるんですが。
もちろん、メーターとかサリーとか、他の車たちもね。
まったく、何も変わっていません。
そもそも、マックイーンのデビューイヤーである1のときから、何年くらいたっているのか全然分からないからね。


その割に、マックイーンは周りから散々、「年を取った」とか「もう限界だ」とか言われるわけですよ。
まったく意味が分からん。


まず、はっきりさせといてくれよ。
「カーズ」の世界では、年を取るとどうなるの?
スピードが遅くなるの?
スタミナがなくなるの?
集中力が切れてしまうの?
なんでレースに勝てなくなるの?


逆に、マックイーンの地位を脅かす存在である、ストームという新人レースカーは。
最新の空力学を駆使したボディ設計で、すごくスピードが出るらしい。
あと、最新のバーチャルトレーニングをたくさんして、まったく無駄のない走りができるらしい。


ちょっと一回、待って。
カーズの世界では、ボディって生まれつきじゃないの?
練習したら、速くなるの?


もうホント、ぜんぜん意味が分かんないんだけど。
前作では、ロケットエンジン付けたメーターが、マックイーンもベルヌーイもぶっちぎりでかっ飛ばしていったけど。
アレと最新のレースカーが速いっていうのは、また違うことなの?


物語が進むにつれて、マックイーンと同世代の車たちはどんどんと引退していき、代わりに新しい世代のレースカーたちが入ってくるんだけどさ。
彼らもだいたい、最新の機能を積んだストームと同じような感じらしいのよ。
このレースには、レギュレーションっていう概念はないのかって思いました。


みんな同じ条件で走ってるんじゃないの?
エンジンの性能とか、タイヤの性能とかさ。
マックイーンだけ、古い規格で走ってるみたいな描写だったけど。
それが年齢ってヤツなの?
それは引退しないといけないの?


いやまあ、ゆってもアニメだからね。
基本は子供向けですから。
そんな現実のレースカーみたいな細かいことは、子供は気にしませんよ。
ってことで、片づけられればいいんだけど。


子供向けっていうストーリーじゃないんだよね、コレは。


だって、そんな年を取ったマックイーンが、最新のバーチャルトレーニングではなく、独自の方法で速くなる方法を模索し、色んな人の助けを借りて、いよいよレース当日、新人たちをぶっちぎる!
ってストーリーだったら、俺も納得したよ。
「ああ、これはつまり、ベスト・キッドとかロッキー4みたいなものを描きたかったわけね」と。


マックイーン、引退しちゃった!
だよね?
ピットクルーになるってことは、引退ってことでいいんだよね?
はあ?


しかも、一度でも勝って引退とか、本当に死力を尽くして、それでも力及ばずってならまだ分かるけど。
レースの途中に、丸投げしやがった。
ていうか、それいいんだ?
レースの途中に選手交代して、いいんだ?
それ、レースの意味なくない?


なんだろうねえ。
1のときにはそんなに偉大なる存在というほどでもなかったドックハドソンをやたらと神格化してさ。
自分もドックハドソンみたいに、次の世代に託す道を選ぶって感じなのかねえ。


それはそれで、一応ストーリーとしてはアリなのかもしれないけど。
そんな物語、子供たちが見てどうすんの?って感じなんだよね。


一時代を築いたスター選手が、衰えを感じて引退を決意し、自分に憧れている次の世代を指導する道を選ぶって。
渋すぎるだろ。
アニメにすることか、それが。

俺みたいな40がらみのオッサンにジーンとくる話だわ、それは。


ていうか、なんでディズニーはマックイーンにそんなに冷たいわけ?
なんでマックイーンは引退しないといけないの?
なんで年を取らないといけないの?
なんで「カーズ」という作品を完結させないといけないの?


シンデレラがおばあちゃんになるか?
ピーターパンが大人になるか?(なったことあるか、そういえば)
ミッキーとミニーが一線を越えるか?


現状維持でいいじゃねえか。
それがファンタジーじゃないか。
スターウォーズとは違うんだから。
年を取る必要ないじゃないか。


作り手としては、終わらせたい気持ちもあるのかもしれないけど。
そういうのを見させられるファンの身にもなってくれよ。
ヒーローが年を取るのなんて、見たくないんだよね。


なんか、作り手が「カーズ」という作品に自分たちの思いを乗っけすぎてる気がするよね。
そうじゃないじゃん。
子供たちが喜ぶものを作るべきじゃん。
「世界一周ハチャメチャレース」でも良かったじゃん。


「カーズ クロスロード」
40点。

ガッカリしたくない人は、見ない方がいいね。



一生モノ

どうも。
ファッションにはそれほど興味がないtacconiです。
まあ、人並みです。
時々、無性に服とかがほしくなって、色々調べたりするくらいです。


そんな俺から見たファッション関係の言葉で、常々疑問に思っていることがある。
「これ、一生モノだから」


よく使われるね、この言葉。
特に時計とか革製品とか、アクセサリーとかで。
けっこう高額なものが多い。


たまーにそういうものを買おうかと見に行ったりすると、中にはえらい高いな、と思うものがあって。
「すごいなー、高いなー、買わないなー」
と思って見ていると、店員さんが言ってくるのさ。


「これは、一生モノですからね」
と。


曰く、革靴とか革の財布とかは、手入れをすればずっと使えると。
時計も、部品が壊れたりした場合でも、修理すれば孫の代まで使えると。
そう考えれば、高くはないですよ、むしろ安いくらいですよ、と。


本当にそうか?


これだけ毎年新しいファッションの流行とかがあるのに、10年も20年も前の靴とか履くか?
手入れをしても、やっぱり経年劣化というか、古い感じはどうしても出るぞ。
それを味があるってだけで済ませられるか?


むかーし流行ったような気がする、ミンクだかなんだかの動物の頭やしっぽがついたようなコートとかね。
今、着てる人いる?
20年前の革のジャケットとかさ。
手入れができてるとか、そういう問題じゃなく、単純にダサいわ。



前に、時計が壊れたから修理に出そうと持って行ったけど。
「これは一回、スイスに送らないと駄目ですね」って言われて。
「早くても3か月くらいかかりますね」って言われたぞ。
3か月も時計なしで過ごさなきゃいけないのか!
と思って、修理しなかったよ。
新しいの買ったよ。
高くないやつを。


だいたい、一生同じ服とかアクセサリーを身につけるなんて、あり得ないと、ちょっと考えれば分かる。
一生使えるかもしれないけど、ホントに使うかどうかは別な話だ。
そんなことを言い出せば、本当は車だってきちんと手入れをすれば、20年でも30年でも乗れる。


そういう売り文句だってのはわかるんだけどさ。
まあなんかもうちょっと、考えてほしいよな。
言われるたびに、心の中で突っ込んでしまってるもんな。


「今はかっこいいと思うけど、俺は絶対一生これを使ったりはしない」
って。


「BORUTO」のガッカリ感

どうも。
少年ジャンプの表紙が女の子だと買いづらいtacconiです。
この年になるとねー。
レジに持っていくのが嫌だよ。
もうWEB版を買うようにしようかなー。


もう30年くらいずっとジャンプを買っているので。
現在、絶賛映画化されている「ジョジョの奇妙な冒険」が、「マジで気持ち悪いなこのマンガ」って言われているころからですよ。
当然、「NARUTO」なんかも連載開始当初から読んでました。


その「NARUTO」も、終わったかと思いきや、隔週か月刊だかで「BORUTO」として続いている。
原作者は監修として入ってるみたいなんだけど、作画は別なんだよね。
長年、マンガを読み続けている俺としては、「絵を描く人が変わったら、別なマンガ」っていう感じなんだけど、どうなんだろう。
それ言ったら、「ゴルゴ13」とかなりたたくなりそうだけども。


ていうか、この「BORUTO」ってマンガ、需要あるの?
いや、まあ需要はあるか。
出版社やその他の収益を確保するという需要はな。


要するに、あんまり面白くないって言いたいわけよ。


なんかもう、明らかに蛇足だよね。
蛇足って、こういうことを言うんだってくらい、蛇足だよね。
書き終わったって思ってた蛇に足をつけちゃった。あーあ。
って、このことだよ、ホントに。


まあ少年ジャンプを含めて、世の中には俺が面白くないなと思っても世間的には大人気、というマンガも多いので。
それはそれで、どうでもいいんだけども。
「NARUTO」をずっと読み続けて、最後あたりのクソ長いゴチャゴチャした話にも頑張ってついていってフィナーレを迎えた読者としては、ちょっと納得いかなすぎる点がある。


それは、「BORUTO」の連載開始当初のエピソードで。
七代目火影となったナルトが、その任務や仕事が忙しすぎて、家族やボルトとの時間を過ごすことができない、というものだった。
その結果、父親の愛情不足となったボルトが、かつてのナルトと同じように、里でさまざまな悪戯をしてしまうという。


このエピソードで、読者は歴史は繰り返すというか、親と子は似るというか、受け継がれていくものを感じることができる、と作者は思ったんだろうが。
俺はまったく、このエピソードには憤慨したし、何よりもがっかりした。


なぜならば、父親の不在、家族の不在に一番苦しんでいたのは、ナルト自身ではなかったのかと思ったからだ。
連載開始当初から、それはさまざまなエピソードを通じて描かれ続け、それはナルトの人生に大きな影響を与え、やがて血のつながり以上の関係を見つけるというのが、彼の大きな目標になっていった。
様々な出会いや別れを通じて、その目標を達成したのが、この「NARUTO」という話のフィナーレではなかったのか。


そのナルトが、自分の子供には家族の不在を我慢しろという。
こんなに矛盾した話があるだろうか。


里に暮らす人たちすべてが、家族だと思うから、とか。
そういう言い方もする。
忍者は、忍び耐えなければいけないとも言う。
ホントにそれでいいのか?


なんなら俺は、自分の家族に寂しい思いをさせるくらいなら、火影になんかならないくらいの選択があってもよかったと思った。
木の葉の里始まって以来の、サボりがちな火影とか、そういうカタチでも、むしろナルトらしかったのではないかと思う。


とにかく、成長したナルトが、「里の平和を守るために、俺は自分の家族を犠牲にする」という、やけに大人びた選択をしてしまっていることに、本当にがっかりした。


少し前に、映画「スターウォーズ」で、ルーク・スカイウォーカーやハン・ソロの「その後」が描かれていた。
俺は特別スターウォーズが好きということもないが、その設定にがっかりしたという記事を、どこかで読んだ。
スターウォーズの初期三部作で、ルークやハン・ソロは懸命に戦い、宇宙に平和を取り戻したはずだった。
それが、その後を描いた新三部作ではどうなっていたか。


結局、宇宙に平和は戻っていなかったのだ。
これでは、ルークたちがやってきたことは何だったんだろうと思ってしまう。
全くの徒労?
しかも、彼らが存命中に平和は破られている。


これと同じような感覚が、「BORUTO」にはある。
少年ジャンプで700話、15年にわたって続いてきた連載で達成した目的を、いきなりぶち壊してしまうという。
途方もないガッカリ感だ。


単に相手を倒せばいいとか、戦争に勝てばいいとかいう価値観を超えて、自分の周りにいる人たちと手を取り合って未来を作っていくというテーマを持っていたからこそ、ダラダラした展開でもそれなりに楽しめたのが「NARUTO」だったんだが。


自分の家族も幸せにできないやつが、里とか国とかを幸せにできるはずがない。
という考えには至らなかったのか。
「大人の都合」で子供に寂しい思いをさせるのが、子供にとってどれほどつらいことなのか。
それを一番よく知っているのが、ナルトだと思っていたのだが。


そうでもなかったらしいなあ。
残念。



プロフィール

tacconi

Author:tacconi
鹿児島在住の会社員。
ピザ好き。
カメラ好き。 
CANON 70D 使用。
ユベントス大好き。

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